Google(グーグル)日本法人の歴代社長(代表)の一覧です。評判・評価・経歴・実績など。初代から現在。会社名は「グーグル合同会社(旧:グーグル株式会社)」で、2001年8月設立。~参考:AI Referee(エーアイレフェリー)
| 名前 | 略歴・実績 | |
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奥山真司
(まさし) 2021年2月から
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■出身地 東京都 ■出身大学(最終学歴) 早稲田大学教育学部(1989年3月卒業) ■略歴 ※主にマーケティング畑 1989年4月、米P&G(プロクター・アンド・ギャンブル)の日本法人P&Gジャパンに新卒で入社。 ※当時の社名は「P&Gファー・イースト」 2002年、ジェネラル・マネージャー 北東アジア フェミニンケア担当、 2005年、バイス・プレジデント 北東アジア フェミニンケア・オーラルケア担当 2006年、同 ジレット担当 2008年、バイス・プレジデント兼ジェネラル・マネージャー 韓国担当 2012年7月1日、P&Gジャパン社長 ※P&Gジャパンにおいて2人目の生え抜き日本人社長(1人目は桐山一憲氏) ※2014年に3%の成長を達成した。 2015年8月末、社長退任(後任は米P&G本社のスタニスラブ・ベセラ氏。先進国、新興国ともに統括してきた国際派) 2016年、江崎グリコ常務(マーケティング本部長) |
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ピーター・サースガード
2016年1月から2020年11月末
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2020年11月末で退任し、12月にアメリカ本社のバイスプレジデントに就いた。 |
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ロバートソン三保子 (みほこ) 2014年1月から2016年1月 |
経歴などを完全に非公開にした珍しい経営者。 | |
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カリム・テムサマニ
2014年1月の約1か月 |
アジア太平洋地域担当社長との兼任(暫定的な就任) | |
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有馬誠
2010年5月から2014年1月
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■略歴 ※大阪市出身。 1980年、京都大学(工学部)卒業後、クラボウ入社。 1987年リクルート情報通信事業部部長 1996年ヤフー取締役、2000年常務。 2004年アイ・アムを設立し社長。 2010年1月1日付でグーグル日本法人に入社し、専務(営業本部長)に就任。 ■京大で物質エネルギーの実験 大阪市内の日本橋で生まれた。 町全体が活気ある商売人の町だった。父が企業を経営していたため、いつか自分も起業しようと考えていたという。 京都大学の工学部では、物質エネルギーの実験に取り組んだ。 ■30歳でリクルートへ転職 新卒で大阪の名門企業クラボウ入社した。コンピューター事業に携わった。 リクルートにヘッドハントされ、30歳で中途入社。営業もできるということで、出版だけではなくコンピューター分野にも進出を考えていた当時のリクルートに採用されたのだった。 1987年8月1日。東京・銀座の本社ビルに出社すると、いきなり上司から、米国のITベンチャー「ファイテル」に関する資料を渡される。お盆休みの間に読んでレポートにまとめるよう指示を受ける。 お盆休み明けに、担当役員とともに、創業者の江副浩正社長に報告すると、信頼され、買収交渉を任される。 交渉相手は、後にAmazonを創業するジェフ・ベソスだった。 リクルート入社1年後には、関連会社「国際バン」を立ち上げて取締役になった。「青年重役」と仲間から呼ばれた。 ■ヤフージャパン立ち上げメンバーに その後、ヤフージャパン(1996年1月設立)の「社員第一号」となる。 創業段階で誘いを受け、「これはデカいことになりそうだ。あきらかに、こっちだな」と判断したという。当時39歳。 当時のリクルート選択定年制度より1歳若かったため、上乗せの退職金はもらえなかった。 それでも「ネットの世界はスピードが速いし、待ってなんかいられなかった」という。 ヤフーでの成功に伴う収入で十分に元はとっただろう。 ヤフージャパンの「一号社員」といっても、いきなり取締役だった。役割は「営業企画部長」。ヤフー 社長 歴代によると、初代社長の井上雅博氏らのもとで、サービスの立ち上げに携わった。 米ヤフーは当初、ネット検索エンジンとして立ち上がった。 後で登場するGoogleなどと違い、米ヤフーはロボットに頼らず、「サーファー」と呼ばれる人間が検索エンジンへの登録作業などを行っていた。 ヤフージャパンも米国本社と同じ手法をとった。 ■検索エンジンを構築 1997年5月時点で東京都中央区のヤフーの本社では12人のサーファーが働いていた。 1日数百件届くホームページの登録申し込みを受けて、それを「芸術と人文」「メディアとニュース」などのカテゴリーに分け、検索の手掛かりとなるキーワードを選んでいた。すべて手作業だった。 検索サイトに載せたいわゆる「バナー(横断幕)広告」からすべての収入を得た。 有馬氏はこうした業務を統括していた。 営業や開発の責任者として、古巣のリクルートの「リクナビ」との提携も実現させた。 さらに、オークションサイト「ヤフオク」や、イーバンク銀行(後の楽天銀行)との提携に取り組んだ。 参考:ヤフー 社長 歴代 ■人材紹介会社「アイ・アム」を設立 2002年パソナキャレント社長。 2004年9月、人材紹介会社「アイ・アム」を設立し、社長に就任(後に会長)。資本金3億円。 主要業務は転職に関するコンサルティング、採用に関する企業コンサルティングなど。 転職アドバイザーのサポートで、「自分のやりたいことは何か?」「自分が本当に好きになれるのはどんな社風の会社か?」をはっきりさせた上で、活躍できるフィールドを選ぶことを重視する姿勢が、多くの転職希望者の共感を得た。 ■趣味 カラオケ、ポップス鑑賞など |
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辻野晃一郎
(こういちろう) 2009年1月から2010年4月
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1957年福岡県生まれ。1984年、慶応大学大学院の工学研究科修了後、ソニーに入社した。就職する時期に、FBIのおとり捜査で日本人エンジニア6人が逮捕されたIBM産業スパイ事件が発生。それをテレビのニュースで見て外資のやり方に反感をおぼえて、外資に行かずにソニーを選んだという。 22年間のソニー在籍中、パソコン「VAIO」事業の創設に携わった。その後、東京・大崎(東京都品川区)のテクノロジーセンター(テレビ村)に異動。ネット経由で映像などが保存できる新型テレビ「CoCoon(コクーン)」の開発を始めた。ソニーでの最後の時期には、米アップルの「iTunes/iPod」に対抗するために打ち出された、「CONNECT」プロジェクトに携わった。2006年退社。 半年ぐらい屋久島へ行ったり、神社を訪ね歩いたりした。 第1回東京マラソンにも出場。 2006年秋ごろ自分の会社をつくったが、法人登記した直後にグーグルからオファーがあったという。 2007年4月グーグル入社、製品企画本部長を経て、社長に。 社長就任当時、アメリカではネット広告全体の40%が「検索連動型広告」だったのに対して、日本では約20%にとどまっていた。 また、検索エンジンとしては、ヤフージャパンの後塵を拝していた。 |
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村上憲郎
(のりお) 2003年4月から2008年12月末
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※初代 2008年、NTTドコモやKDDIと提携し、モバイル広告の収益を伸ばした。 地図上でグーグルが撮影した風景を閲覧できる「ストリートビュー」は、プライバシーの侵害ではないかとの批判を受けた。 社長退任後から2010年12月まで名誉会長を務めた。 リタイア後、学生時代を過ごした京都で、村上憲郎事務所を設立。講演活動やIT事業の支援で地域活性化に取り組んだ。例えば東映太秦映画村で古い映画を活用する仕事を手伝った。京都大学の5年間、学生運動に熱心だった。 1947年、大分県の旧宇目町(現・佐伯市)生まれ。佐伯鶴城高校出身。 1970年、京都大学(工学部)卒業後、日立電子に入社。コンピューターシステムのエンジニアとしてキャリアをスタートした。 DEC Japanのマーケティング担当取締役や、Informix日本法人CEO、ノーザンテレコム・ジャパン(Nortel Networks Japan)CEOなどを歴任。 子供時代、なまじっか勉強ができたせいで、特別な子どもとして注目された。ほかの子どもなら見過ごされるようないたずらも、教師や大人たちは、決して許してくれなかった。 出身地の大分を離れてから、京都→東京→米国と、故郷からどんどん離れていった。 親類に不幸や慶事があっても、帰郷できないこともあった。 50歳を過ぎたころから、仕事に少し余裕が出始め、帰省の機会が増えたという。 著書に「一生食べられる働き方」(PHP新書)、「村上式シンプル英語勉強法」(ダイヤモンド社)など。 |
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